精密機器や半導体装置の分野で使われる「インバー」という金属素材。
名前は聞いたことがあっても、どんな特徴を持つ材料なのかを正確に説明できる方は意外と多くありません。
インバーは温度が変化してもほとんど膨張しないという、非常に特殊な性質を持つ合金です。
そのため、寸法精度が厳しく求められる機器や装置に欠かせない存在となっています。
この記事では、インバーとは何かという基本から、特徴・成分・用途・なぜ精密分野で使われるのかまでを、専門知識がない方にもわかりやすく解説します。
インバーとは何か?基本的な意味

インバー(Invar)とは、極めて低い熱膨張率(線膨張係数)を示すことを最大の特徴とする、鉄(Fe)–ニッケル(Ni)系の低熱膨張合金です。
一般的な金属材料は、温度上昇に伴って原子間距離が拡大するため膨張し、温度低下によって収縮します。これは材料の物理的性質として避けられない現象です。
一方、インバーは特定の化学組成と磁気的性質を持つことで、常温付近において熱膨張がほぼ相殺される挙動を示します。その結果、温度変化が生じても寸法変化が極めて小さく、非常に高い寸法安定性を維持できる材料となっています。
インバーの語源と不変鋼という呼び名
「インバー(Invar)」という名称は、英語の「invariable(不変の、変化しない)」に由来します。
この名称は、温度変化に対して寸法がほとんど変化しないという材料特性を端的に表現したものです。
日本国内では、この特性から「不変鋼(ふへんこう)」という呼称も用いられており、主に精密機器・計測分野を中心に定着しています。
インバー合金の成分構成
一般的にインバー合金は、鉄を主成分とし、ニッケルを約36質量%含有する組成で構成されています。このニッケル含有量は、インバー特有の低熱膨張特性を発現させるうえで極めて重要な意味を持ちます。
この特定組成においては、磁気体積効果(磁歪的挙動)と格子膨張が相互に打ち消し合うことで、線膨張係数が常温付近で最小値となります。
その結果、インバーは一般的な炭素鋼やステンレス鋼と比較して、1桁以上低い熱膨張率を示し、精密位置決めや高精度構造材として不可欠な材料となっています。
インバー36(Invar 36)・規格表記と化学成分の実務的整理
実務や技術資料の文脈において「インバー」と記載される場合、多くはニッケル約36質量%を含有する標準的なインバー合金を指し、「Invar 36」あるいは「FN36」と呼称されることが一般的です。
国際的な材料規格では、インバー36は以下のような規格・記号で整理されています。
- UNS番号: K93603
- ASTM規格: ASTM F1684 など
これらの規格は、化学成分・機械特性・物性値のばらつきを抑えるために定められており、精密機器用途では規格指定で材料を選定・調達することが一般的です。
化学成分としては、主成分である鉄(Fe)とニッケル(Ni)に加え、マンガン(Mn)や炭素(C)などの微量元素が厳密に管理されています。
これらの微量成分は、磁気特性・組織安定性・加工後の寸法安定性に影響を与えるため、精密用途では無視できません。
そのため、設計図面や仕様書においては、単に「インバー」と記載するのではなく、「Invar 36(UNS K93603)」のように明確な規格を指定することで、材料特性の再現性と品質の一貫性を確保することが重要となります。
インバーの特徴|なぜ膨張しないのか

インバー最大の特徴は、金属材料としては例外的とも言える極めて低い熱膨張率を示す点にあります。
多くの金属材料では、温度上昇に伴い原子の熱振動が増大し、結晶格子が拡張することで体積膨張が生じます。しかしインバーでは、この格子膨張が異常に抑制されるため、温度変化に対して寸法がほとんど変化しません。
熱膨張率が極端に低い理由
通常の鉄鋼材料やステンレス鋼と比較すると、インバーの線膨張係数は約1/10以下とされ、常温付近では10-6/K未満という極めて低い値を示します。
この特異な挙動の本質は、鉄(Fe)とニッケル(Ni)の磁気的相互作用にあります。
インバー合金では、強磁性状態に起因する磁気体積効果(magnetovolume effect)が発現し、温度上昇に伴う結晶格子の膨張を相殺します。
すなわち、
- 温度上昇 → 格子振動による体積膨張
- 磁性変化 → 磁気体積効果による体積収縮
という相反する2つの効果が同時に作用し、結果として見かけ上の熱膨張がほぼゼロとなるのです。
この現象は特定のニッケル含有量(約36%)でのみ顕著に現れ、組成がわずかに変化するだけで低熱膨張特性は大きく損なわれます。
使用温度範囲・キュリー温度と磁性に関する注意点
インバーの低熱膨張特性は、すべての温度域で常に成立するわけではないという点に注意が必要です。
インバーは常温付近において線膨張係数が最小となるよう設計された材料であり、使用温度が大きく変化すると、熱膨張挙動も徐々に一般的な金属材料に近づいていきます。
また、インバーは強磁性体であり、温度上昇によってキュリー温度を超えると強磁性状態から常磁性状態へと転移します。この磁性変化は、磁気体積効果の消失を伴うため、低熱膨張特性にも影響を及ぼします。
そのため、精密機器設計においては、
- 想定使用温度範囲
- 長時間運転時の自己発熱
- 周囲温度の変動幅
を考慮したうえで、インバーの使用可否を判断することが重要となります。
さらに、インバーは磁性を有するため、磁場に敏感な装置(干渉計、電子線装置、高感度センサー周辺など)では、磁気ノイズや吸引力が問題となる場合があります。このような用途では、磁性の影響を評価したうえで材料選定を行う必要があります。
寸法安定性と精密分野での価値
このような物性によりインバーは、温度変化が避けられない環境下でも寸法精度を維持できる材料として高く評価されています。
特に、ミクロン(μm)単位、場合によってはサブミクロンレベルの精度が要求される精密機器・測定装置・光学系構造部材においては、材料の熱膨張がそのまま測定誤差や位置ズレに直結します。
インバーはこうした問題を根本的に抑制できるため、
- 精密測定器の基準構造
- 光学機器のフレーム・支持部材
- 半導体製造装置の高精度位置決め部
など、精度が性能を左右する分野で不可欠な材料として用いられています。
インバーの用途と使われる理由

インバーは、「精度が性能を左右する分野」において不可欠な材料として位置付けられています。
精密機器や装置では、わずかな温度変化による数μmレベルの寸法変化が、測定誤差・位置ズレ・光学軸の偏心といった重大な性能低下を引き起こします。
インバーは、こうした温度起因の誤差要因を材料レベルで根本的に抑制できるため、単なる構造材ではなく「精度保証材」として採用されるケースが多いのが特徴です。
精密機器・光学装置での使用例
インバーが用いられる代表的な用途は、寸法安定性・再現性・長期信頼性が特に重視される分野に集中しています。
- 精密測定器
三次元測定機、基準ゲージ、干渉計などでは、温度変化によるフレームの伸縮が測定結果に直接影響するため、インバー製構造体が基準部材として使用されます。 - 光学装置のフレーム・支持構造
レンズ・ミラー・光学素子の相対位置はサブミクロン精度で管理される必要があり、熱変形の少ないインバーは光軸安定性を確保する材料として適しています。 - 半導体製造装置
露光装置や検査装置では、ナノ〜サブミクロン単位の位置決め精度が要求され、温度揺らぎによる構造変形を最小化するためにインバーが高精度部材として採用されます。 - 航空・宇宙分野の構造部材
宇宙空間や高高度では極端な温度変化が発生するため、機器間の相対位置を維持する目的でインバーが構造フレームや支持部材に用いられます。
代表的な用途例|LNGメンブレン・バイメタル・特殊構造材
インバーの低熱膨張特性は、精密機器分野だけでなく、大きな温度差が発生する構造用途においても重要な役割を果たしています。
その代表例のひとつが、LNG(液化天然ガス)輸送船および貯蔵タンクに用いられるメンブレン材です。
LNGは約-162℃という極低温で貯蔵されるため、通常の金属材料では温度変化による収縮が大きく、タンク構造に過大な応力が発生します。
インバーは、極低温域においても寸法変化が比較的小さいという特性を持つため、LNGタンクの一次・二次メンブレン材として採用され、気密性と構造信頼性の確保に貢献しています。
また、インバーはバイメタル材料の低膨張側としても広く利用されています。温度変化による曲げ動作を精密に制御するためには、膨張差が安定している材料が不可欠であり、インバーはその基準材料として用いられます。
さらに、過去にはディスプレイ用シャドーマスクのフレーム材としても使用されてきました。
加熱による変形を抑制する必要がある用途において、インバーの低熱膨張特性が有効に機能していた例と言えます。
このようにインバーは、精密・大型・極低温といった多様な環境条件下で性能を発揮する、非常に汎用性の高い低熱膨張材料です。
加工性・難削性と歪み対策|精密用途で注意すべき点
インバーは優れた低熱膨張特性を持つ一方で、加工性の観点では扱いが難しい材料
として知られています。
インバー合金は、
- 熱伝導率が低い
- 靭性が高く粘りがある
といった特性を併せ持つため、切削加工時に加工熱が工具・加工部に集中しやすいという問題があります。
その結果、
- 加工中・加工後の歪みや反り
- 寸法ばらつきの増大
- 仕上げ後の寸法安定性低下
といった不具合が発生しやすく、一般的な炭素鋼やステンレス鋼と同じ感覚で加工すると精度不良につながるリスクがあります。
特に精密用途では、加工順序・固定方法・切削条件・工具選定が最終性能に直結するため、
- 発熱を抑えた切削条件の設定
- 加工応力を最小化する工程設計
- 必要に応じた応力除去処理
といった対策が重要となります。
また、溶接や局所的な加熱処理を行う場合には、組織変化や残留応力によって低熱膨張特性が部分的に損なわれる可能性があるため、精密構造部材では熱履歴管理にも十分な注意が必要です。
このように、インバーは「材料としての性能」だけでなく「加工プロセス」まで含めて設計すべき材料であり、精度が要求される用途ほど、材料選定と加工技術を一体で検討することが不可欠となります。
スーパーインバーとの違い
スーパーインバーは、インバーを基材としながら、コバルト(Co)などを添加することで、さらに熱膨張率を低減した超低膨張合金です。
一般的なインバーが10-6/Kオーダーの線膨張係数を示すのに対し、スーパーインバーは、それをさらに下回る領域まで抑えられています。
一方で、スーパーインバーは
- 材料コストが高い
- 加工性がさらに低下する
- 調達性が限定される
といった側面も持ちます。
そのため実務においては、必要とされる精度レベル・温度環境・コスト・加工難易度を総合的に判断し、インバーとスーパーインバーを適切に使い分けることが重要となります。
関連する低熱膨張合金との比較|コバール・42アロイ
インバーは代表的な低熱膨張合金ですが、低熱膨張が求められるすべての用途に最適というわけではありません。実務においては、目的に応じて他の合金材料と使い分けられています。
その代表例が、コバール(Kovar)および42アロイ(42%Ni-Fe合金)です。
コバールは、ガラスやセラミックスとの熱膨張係数の整合性に優れており、
- 電子部品のガラス封着
- 真空管・センサーの封止構造
などに広く使用されています。
寸法安定性そのものよりも、異種材料との膨張マッチングが重視される用途に適した材料です。
一方、42アロイは、インバーよりやや高い熱膨張率を持つものの、加工性・コスト・調達性のバランスに優れており、
- 電子部品のフレーム材
- 封止構造部材
などで多用されています。
これに対しインバーは、異種材料とのマッチングよりも材料単体としての寸法安定性が最優先される用途に強みを発揮します。
そのため、材料選定においては、
- 何と組み合わせる構造なのか
- どの温度範囲で精度を維持すべきか
- 寸法安定性と加工性のどちらを優先するか
といった観点から、インバー・コバール・42アロイを適切に使い分けることが重要となります。
まとめ
インバーは、鉄–ニッケル系合金の中でも特異な物性を示す超低熱膨張材料であり、温度変化に起因する寸法変動を材料そのものの物性によって抑制できる点に最大の価値があります。
その低熱膨張特性は、単なる材料設計上の工夫ではなく、磁気体積効果と結晶格子挙動が相殺するという物性レベルの現象に基づいており、特定の化学組成(主にニッケル約36%)と磁性状態が適切に保たれた条件下で発現します。
実務上は、インバーはInvar 36(UNS K93603)などの規格材として扱われ、化学成分の管理、使用温度範囲、磁性の影響を考慮したうえで材料選定が行われます。特に、常温付近での寸法安定性を重視する精密用途において、他材料では代替しにくい特性を発揮します。
一方で、インバーは加工性の面では難削材として扱われることが多く、加工熱による歪みや残留応力が最終的な寸法精度に影響を与える可能性があります。そのため、精密用途では材料特性だけでなく、加工プロセスを含めた総合的な設計が不可欠となります。
用途面では、精密測定器・光学装置・半導体製造装置といった高精度分野に加え、LNG船・貯蔵タンクのメンブレン材のような極低温・大型構造用途にも用いられており、インバーは精密から社会インフラまでを支える低熱膨張材料として幅広く活用されています。
さらに、低熱膨張材料にはコバールや42アロイといった選択肢も存在しますが、これらはガラス封着性や加工性とのバランスを重視する用途向けであり、材料単体としての寸法安定性を最優先する用途においては、インバーが依然として最適解となるケースが多いと言えます。
総合的に見るとインバーは、
「低膨張であればよい」という単純な材料ではなく、
使用環境・精度要求・加工条件を踏まえて選定すべき、
極めて専門性の高い金属材料
です。
温度変動下での精度維持が性能を左右する用途において、インバーは今後も重要な役割を担い続ける材料であると言えるでしょう。

