認知症患者が『ガン』と診断された時の『治療の意思確認』をどうするか?

日本の総人口に占める高齢者(65歳以上)の割合は総務省統計局によると、平成27年に27%を超えたそうです。

下のグラフは統計局による65歳以上の割合を示したものです。

高齢者の割合が年々増えているということは以下のグラフからもわかりますが、日本が他の欧米諸国と比べても高い水準であると言えます。

人口統計

このように、日本が超高齢化社会を迎えつつあるということは確かであると同時に、認知症患者の増加が医療の現場で問題となっているのです。

その一例が、認知症患者の抗がん剤治療です。

ガンと診断された時、患者は自分がガンであると認識できているのか?

抗がん剤治療についての医師からの説明を理解できているのか?

インフォームドコンセントが問われる難しい局面が認知症患者を相手にした場合は想定に難しくありません。

人の命を扱う”医療”の現場では、とりわけ『個人の意思を尊重する』ということを大切にする指向性が強い。

病気の治療においては、たとえ成年後見人であっても本人の意思の代弁は許されないとされます。

それは血のつながった家族であっても同じです。

ところが、実際には認知症患者の家族の意向を本人の意思に見立てて治療を進めることも少なくなくありません。

その理由として、「認知症だと物忘れが激しいでしょ?話をしても理解できないでしょ?」という偏見じみた固定概念が先行思考として経験の浅い医師や看護師の頭を突き刺してしまうからかもしれません。

では、ガンであると診断された認知症患者への「治療意思の確認」とその後の治療について、どのように進めるべきなのでしょうか?


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認知症患者への「意思確認」をする前に注意しておきたいこと

認知症患者への対応で最も困るのが、本人の意思をくみ取ることであるとされますが、認知症の人全てが同じ症状を持つというわけではありません。

中程度以上の認知症であると診断されても、意思をしっかりと持ち表示できる人もいれば、軽度認知症であると診断されたにもかかわらず、意思表示があいまいな人もいます。

認知症の程度によらず、人それぞれ異なるのです。

実は、私の祖父が水頭症から認知症になり、7年ほどで老衰により死去しました。

水頭症とは、脳と脊髄の表面(クモ膜下腔)に循環している脳脊髄液が過剰に貯留し、主に脳室が拡大する病態のことを指します。

広島のとある地域で田舎暮らしをしていた私の祖父は、ある日、通い慣れた自分の山の木の枝払いに出かけたのですが、70歳を過ぎていましたので、体力の衰えもあったのでしょうか。

高い木の上でロープを使って枝払いをしていたところ、ズルっ!!と足をうっかり滑らせて落ちて頭を強く打ってしまったようなのです。

若い頃なら、木を強く掴んだり受け身をしたりして頭を強く打つこともなかったのかもしれません。

気が付けば、湿った土の上に横たわっていたようです。

土の臭いがするなか、汚れた体を何とか起こして、一時は自力で山を下りて家に帰ったようです。

しかし、頭の痛みが引かず病院に行き、診察を受け検査をしたところ水頭症であると言われたのです。

その後、手術を受けたものの、術後の祖父はそれまでの壮健で聡明な印象のあった様子とは打って変わり、まるで別人のようになってしまいました。

ちょうど、私が大学受験をする頃のことで、祖父のことが大好きだった私はショックでどうしたらよいのか分からなかったことを覚えています。

祖父については、いくつかのエピソードがあります。

病院の検診に連れて行った帰りにタクシーを使おうとすると、頑なに乗るのを嫌がって病院に戻ろうとする(結局、本人が納得するまで病院をいっしょに徘徊しました)。

何がしたかったのか、本人に聞いても「先生から薬をもらわんといけん」としか言わないんです。

後から分かったことは、その病院の皮膚科に昔から通っていて、定期的に塗り薬をもらっていたようです。そこに行きたかったんでしょうか。

夏休みで帰省していた8月のこと、田舎の周囲には田んぼに水が張られていましたが、夜7時を過ぎた夕食の時間。

祖父、祖母、私の3人での夕食中、突然祖父が「田の水を見に行かんといけん!!」と叫び、急いて自転車に乗って家を出ようとするのです。

確かに、祖父は田で米を作っていましたが、それは認知症になる前の話。

この時には、すでに米作りは他の人にお願いして全部やってもらっていたのです。

おそらく、昔の事を急に思い出したのでしょう。

8月とはいっても、夜の7時を過ぎれば田舎道は街灯もまばらで暗い。

認知症の人間が自転車に乗って走るのはとても危険です。

それでも、私や祖母が制止をすると「何をしやがる!」と怒る。

今まで、こんな言葉を浴びせられたことなんて無かったので、一瞬ひるみました。

仕方なく「自転車は危ないから一緒に歩いて見に行こう」と説得して田んぼの水を見に行ったのでした。

水を見たら納得して、家に帰って何事もなかったかのように食事の続きを食べ始めていました。

他にも、ただのプラスチックの丸い蓋を持って、一生懸命に新聞を覗くんです。

「じいさん、何してるの?」と聞くと、「字が小さいけぇ、見えんのぅよ」と言うんです。

虫眼鏡と間違えているんでしょうね。

新聞の内容なんて、読んで理解できるのかどうかさえ分かりませんが、たぶん理解なんてできなかったと思います。

ただ、昔から祖父が新聞を毎日、隅々まで読む姿を子供ながらに私は見ていたので、虫眼鏡と間違えていたとしても、昔からの習慣となっている”新聞を読む”という行動は覚えているだなと思いました。

このように、認知症によって、それまでの人格がガラリと変わってしまうことで周囲の人たちを戸惑わせるということはよくあるみたいです。

それが威厳のある人ほど、周囲のショックは大きいかもしれません。

そのため、抗がん剤治療をするかしないかという本人の意思がその時示されたとしても、家族はその姿を見て「それは本人の意思とは違います!以前だったら、絶対に・・・」と反対するようなことも起こり得るんです。

ここが難しいところでもありますね。

認知症になった原因を知る・探る

認知症の原因として最も多いのは、アルツハイマー型認知症、血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症と言われていますが、私の祖父のように他の何かが原因で認知症になってしまうというケースもあります。

アルツハイマー型認知症などは、その後の認知機能障害にそれぞれ傾向があり、特徴に合わせて社会生活・日常生活にどんな影響が出てくるのかということを理解しておくことが医療従事者としては大切です。

代表的な認知機能障害として、記憶障害がありますが認知症では新しい記憶ほどすぐに消えてしまいます。

のも忘れとか、そもそも覚えられないということもあります。

歳をとったことで起こる「もの忘れ」と違い、認知症では自分の体験したことそのものを忘れてしまいます。

「アレをどこに置いたかな??」ではなく、認知症だと「アレを置いた」という行動そのものを忘れてしまうのです。

そこが大きな差ですね。

他にも、認知症では計画を立てる、実行するということが難しくなります。

〇〇時になったら△△の薬を飲むということができない。

外来の予約を入れても、時間通りの病院に来れない。

自分でできることと、できないことがわからない。

こういったことが起こります。

やがて、視空間認知障害が起こり、自分の眼や体の感覚が鈍ってきたり、言語障害が起こります。

物をつかもうとしても、距離感がわからない。

椅子に自分ひとりで座れない。

相手の表情がとらえられない。

言葉(単語)が出ない。

話が回りくどく何を言いたいのか理解しにくくなる。

などなど。

こういった症状が起こる前に、患者はどのような病歴を持っているのかということを調べておくことも大切です。

患者は独り暮らしか?家族と同居しているのか?

認知症と診断されたガン患者に対する抗がん剤治療を進める場合、患者が誰と住んでいるのかということも知っておくべきです。

特に在宅医療を推進する場合、身寄りのない独り暮らしだと介護スタッフとの関係性も離れていきやすく、結果として治療アセスメントを行うことも難しくなってしまいます。

認知症による自宅での事故。

抗がん剤治療が適切に行われないために起こる患者への不利益。

こういったことが管理できない状況で、独り暮らしの認知症患者を自宅に帰してよいかどうかは議論するべきところでしょう。

家族と同居している場合でも、家族との話し合いは密に連携しておく必要があります。

認知症のBPSDを理解してあげる努力をする

BPSDとはBehavioral and Psychological Symptoms of Dementia、認知症の行動・心理症状を指します。

認知症の症状が進むと幻覚・妄想・暴言暴力・介護抵抗といった症状が出るようになり、家族や周囲の人たちを苦しめる行動・心理のことを示すことが多いですが、「BPSD=問題行動」と決めつけないようにしてあげないといけません。

そもそも、認知症患者にBPSDが現われる原因は、患者自身の身体的・精神的な苦痛であるということが明らかになってきたからです。

認知症になったら、自分のことが分かっていないんでしょ?という考えを持つ人が多くいるそうですが、認知症の人だって一人の大人です。

介護をする時に、赤ちゃん言葉で話しかけたりする介護師もいるようですが、尊厳という言葉を思い出すべきですね。

だからこそ

自分がものを覚えられない、どんどん忘れていく。

思うように体が動かせない。

そういった葛藤や不安で苦しんでいる患者の叫びがBPSDとして表れているのです。

患者の行動が意味不明だと突き放すことなく、何故、その患者はそのような行動をとるのか。

原因は何か。

細かく、生活状況を観察しストレスの原因となることをできる限り排除してあげることが最善の対処法であるとされます。

原因があるけど、うまく伝えられないのが認知症なんです。

何も分かっていないのではないのです。

こういったことに対して、病院では、よく「包括的なアセスメントが必要だ」と言われているが、具体的にどのようなことをするべきか、議論するべきか、観察するべきかを話し合っておくとよいのではないでしょうか。

その人がこれまでどんな日常生活を送ってきた人なのか。

どんな社会的地位にいた人なのか。

人はみな、何かしらプライドを持っているものです。

プライドが傷つけられていたりしないか?

問題視している患者の行動だけでなく、その背後や周囲に何(原因)があるのか?

ということまで推測できるようにならなければいけないのです。

認知症患者の『治療意思確認』が難しい場合は、医療倫理に則った判断をして治療を進める

自分で抗がん剤治療をするかしないかという意思決定をするのが難しいとされる認知症患者において、本人に意思表示ができない限りは治療ができないと言える。

しかし、そんなことを言ってしまえば認知症患者を見放していることと同じになってしまう。

それではいけない。

そこで、活用するべきは医療倫理の四原則でしょう。

  • 「自律的な患者の意思決定を尊重せよ」という自律尊重原則
  • 「患者に危害を及ぼすのを避けよ」という無危害原則
  • 「患者に利益をもたらせ」という善行原則
  • 「利益と負担を公平に配分せよ」という正義原則

終末期ケアでよく医療倫理のことが議題となったりするが、認知症患者の治療意思の表示においても適用しなければなりません。

つまり、自分で意思表示できない患者の家族が本人の意思を推測する。

治療を行う医師が患者にとって最適であるとされる方法を提示する。

治療と副作用を鑑みて、最善策を考える。

考えられる方法が諸刃の剣であり、メリットもデメリットも同じくらいであり、決めかねないというのであれば「死とは生き方の最後の挑戦」という言葉を思い出してほしい。

最後は患者さんへの気持ちです。

認知症の進行具合や周囲の人や環境を俯瞰的にみて、一番良い方法を提案してあげるべきです。

こう言ってしまえば、医療と哲学がごちゃごちゃしてしまう感じもしますが、人生は哲学です。

そして、哲学に正解はありません。

その時代、その人それぞれに哲学があるのです。

古代ギリシャ時代から哲学は繰り返し議論されているものの、古い考えが誤りとされ、新しい哲学が生まれる。

やがて、また古い哲学が良いと言われたりを繰り返しているのです。

終末期ケアにおいて、人生観というものをとても大切にしています。

エンディングノートというものが存在するのも、『死』に向き合うとういう哲学がそこにはあるからです。

延命治療の意味を考える時、医療者と患者の立場でどれだけ違ってくるのでしょうか。専門性を深めた医療者はいつしか医療者の頭でしか考えられなくなっているかもしれません。

認知症患者さんは、残念ながらエンディングノートを書けないかもしれません。

でも、その人が今まで生きてきた軌跡は確かに残っているはずです。

これまで、どのようなことをしてきたのか。

どのような考えをもって過ごしてきたのか。

そういった過去から、患者さんの”哲学”を推測してあげることで、医療倫理を守ることができると言えるのではないでしょうか。

『意思表示』という呪縛を解き、『意思推察』ということも1つ方法として考えてもよいと思う次第です。

かならず人は死にます。

だからこそ、自分ならば周囲に迷惑のかからない納得のいく『死に方』を医師や看護師さんには考えてもらいたいなぁと願います。




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