私が小学生の頃、学校の作文で「将来の夢」というタイトルで文章を書いた。
いや、書かされた。
おそらく、あなたもきっと小学生の頃に書いていると思う。
その時、どんな内容の作文を書いたか覚えていますか?
私は今でもハッキリと覚えている。
だから、その時に思い描いていた将来の夢と今を比べる時がたまにあるんです。
子供の頃の夢を実現できた人、できてない人、夢が途中で変わった人、そもそも夢なんて特に無かった人。
みんなそれぞれ大人にはなっているんです。
時間は平等。
今どきの子供たちがどんな「将来の夢」を持っているのか気になりつつも、自分のことを振り返ってみようかと思う。
親の背中が大きく見えた小学生の頃
私の父親は私が幼稚園に入る前くらいの頃、小さな町工場(金属部品加工会社)を1人でやり始めた。
昭和50年代のことである。
まだ法人化せずに個人営業という形で始まったわけですが、当時小学生であった私にとって父親の仕事の内容なんてちゃんと分かってはいませんでした。
昭和50年代と言えば、当時の日本はバブル期の絶頂期でありイケイケの時代であったという。
しかし、超零細町工場で1人せっせと機械を動かして金属を削っては依頼を受けた部品を作る日々を送る父親と私たち家族にとっては蚊帳の外である。
夜ご飯のおかずが大根の葉っぱなんてことも普通だった。
とにかく、その日その日の暮らし、食べることがギリギリで苦しい時代だったと親から話しは大人になったからこそ聞ける日が来たわけです。
当時は「ひもじい」なんて言葉は一切出さないで頑張るしかなかったのです。
子供の私たちにとっては、その生活が『当たり前』であったし、貧乏とも思ってもいなかった。
それは、お金なんか無くても楽しい日々があったからだろうなと今になっては思う。
お金を使わなくても楽しむ方法なんて沢山あったんでしょう。
それから、父親は世間のバブルだ!バブルが崩壊した!という時代の流れとは無縁にコツコツと仕事を休み無く必死でこなし、私たち家族を養ってくれ従業員を雇い入れて少しずつ会社を安定させていった。
小さな小さな町工場だからこそ、大きな時勢の波に飲み込まれずに済んだのかもしれません。
父親は今でも当時を「運」やなぁと言う時がある。
母から聞かされていた父親像
当時の父親の心情とか露も知らない小学生の私にとって、父親の事を知るのは母から聞く話が頼りだったのです。
父親は毎日、私が起床する前に出勤するし、帰宅するのは私が就寝してから。
なので、1週間顔を合わすこともない週だってあったわけです。
もしかしたら、お父さんって家に帰って来てないの?とさえ思っていました。
直接お父さんの話を聞くなんてことはほとんどありませんでした。
だから、母親が「お父さんはね・・・」って私たち子供に聞かせてくれた。
事業を立ち上げたばかりで、子供との時間を思うようにとれない父親の代わりに。
お父さんはすごいんやでってことは常に母から聞いていた。
家族のために一生懸命に働いてくれているんやでって。
母親が私たち子供に父親に対する尊敬の念を持つことを教えてくれていた。
中には働き方とか仕事の内容とか、もっと考えて効率よく稼げば子供との時間だってとれるハズだろって指摘される方もいるかもしれないが、全ての人が全てを効率よくできるわけではない。
時代の背景というものだってある。
ただ私が言いたいのは、そうじゃなく、その時に自分たちが失いそうになっている大事なことって何だろうかってことを母が気づいて子供である私たちに教えてくれていたことなんです。
当時子供である私が失いそうになっている大事なこと。
それは父親を尊敬するということ。
子供が親を尊敬するという心を持つことは大切なことであると私は思っている。
また、親としても子供に尊敬されるべき『親』を目指す責任があると、子供を持つ立場になってから益々思うようになった。
母から聞いた父親のことっていうのは、少なからず母親の主観は入っている。
これは否めない。
それでも、私は父親を尊敬していた。
私たちのために頑張ってくれていると。
小学校の頃の夢
小学生の1年生あるは3年生くらいだっただろうか。
学校の授業参観に向けて「将来の夢」というタイトルで作文を書く課題があった。
将来の夢と言われたら、今のあなたなら何と答えるだろう。
子供にとって「夢」とは「職業」のことを意味していることが多いと思う。
スポーツ選手、医者、弁護士、トレーダー、ショップ店員などなど、最近はユーチューバー(You tube に動画アップして広告収入などを得る人たち)なんてのも出てきているらしい。
時代ですね。
子供がどんなことを夢見るかにつて、私は一切否定しない。
もちろん、どこぞの国の戦闘員になる!テロをする!なんて馬鹿げたことは許しませんけど。
人を傷つけるようなことを夢に掲げることはやめて欲しい。
まぁ、そんな子供は日本にはいないと信じつつ。
私が当時、夢にしていたことは「父親の仕事の後を継ぐ」ってことでした。
結果的に、見事に夢を実現しているわけですが。。。
思春期に私の夢は一度あらぬ方向へシフトチェンジして大人になっても暫くは全く違うことをしていましたので、また元の夢に返ってきたという感じです。
小学生の時に書いた作文「ボクの将来の夢」
私は父親が「金属を削る仕事をしている」ということは知っていました。
でも、金属を削って何をしているのかまではちゃんと解っていなかった。
というか、超勘違いをしていた。
今だから笑えるけど、本気で考えたら笑えないこと。
何を勘違いしていたかと言うと
ボクのお父さんは金属を削ってお金を作っています!
そう、作文で発表しちゃった。
大胆にも偽造コインかよ!!って突っ込みきれないでしょ。
いやぁ、大きな意味では確かに金属を削ってお金を稼いでいる(つくっている)ともとれますが、正真正銘、子供の心は「ボクのお父さんは100円玉作ってる」みたいな(笑)
ま、小学生だから笑って過ごせた部分もある。
授業参観の後、家で母親から「お父さんはお金を作ってるわけちゃうから~」と指摘されたのを覚えている。
そんな勘違いもありつつ、作文では父親の後を継いで一緒に仕事をすることを書きました。
そして、私や家族のためにいつも頑張って働いてくれているお父さんが大好きだと。
父親との接触時間は日々ほとんどありません。
でも、お父さんとたまに出かける時がすごく嬉しかった。
それも、母親がお父さんのことをたくさん話してくれていたからだろう。
小学校を卒業するくらいまでは、真剣に父親の仕事を継ぐことしか考えていませんでした。
将来の夢は変わってもいい
小学生の頃に描いた夢を実現できた人ってどれくらいいるのだろうかと思う。
スポーツ選手を見てると、子供の頃から頑張っている姿が映し出されたりしていますがほんの一握り。
9割以上は何らかの別の道を歩んでいるはず。
あるいは、何となく大学まで行ったけど就職できそうなところに”とりあえず”入社してみたら、ズルズルと今も同じ会社で働いているという人もいるだろう。
その仕事にやりがいを見つけた人、見つけられずに転職を考える人。
独立して自分で新たにやりたいと思うことを仕事にしている人。
様々。
みんなが子供の頃に描いた夢を追い続けているわけではない。
学生の頃に見つけた夢。
社会人になってから発見した夢。
夢なんか人生のいつでも新たに持っていいことだし、新しい夢を持てる人はバイタイリティーの凄い人が多いような気もする。
頭脳、能力、アイデアなどがあっても、体力が伴わないと何もできないですからね。
アントニオ猪木さんの「元気があれば、何でもできる」っていう言葉の通りかもしれない。
私の夢は最初、父親の後を継ぐことでしたが、学校で勉強したり漫画を読んだり、映画やテレビを観たりしているうちに、医療関係に凄く興味をもつようになった。
それが、やがて医療従事者になるという夢へと変わっていった結果、薬剤師になったんです。
それが今や町工場で働いています。
毎日、鉄を削っています。
完全に工業系の仲間入りを果たしました。
どうなってんでしょうね。人生って。
まぁ、実はもう少し細かい話があるんですが、また今度。
将来の『夢』がないという子供たちへ
私が小学生の頃じゃ思いも付かないようなことが「将来の夢」として小学生たちが掲げることにも驚きますが、それよりも夢がないという子供たちがいることに残念で仕方が無い。
夢=職業
こう考えているから、夢が無いと答える子供が多いともとれる。
公務員になることとか、それが夢と言えるのか?
将来の夢っていうのは、職業のことじゃないと私は思う。
職業を絞り込もうとするから、どんな仕事があるのか知らないから夢がないってなるんです。
職業という「結果」から、仕事という「目的」を導いてはいけない。
そうじゃなく、漠然とこういうことしてみたい!でいいと思う。
それをするためには、どんな職業があるのかをこれから探せばいい。
なければ作ればいい。
それくらいの夢が子供の中で膨らんでくれるといいなぁと思う。
探検家になって、誰もまだ発見したことのない遺跡や何かを見つけたい!
まだ誰も見つけたことのない新しい星を見つけたい!
タイムマシンを作りたい!
何でもいいじゃないか。
今になって思うのは、小学生の「将来の夢」という作文の課題に込められた意味というのは、子供の創造性を確認することだったのかなぁということです。
ともあれ、いくつになっても新たな「夢」を持ち続けられたらと思う。